約1200年前の平安京造営時の遺跡。
常に清泉が湧き出ることからこの名が付けられました。
太古から存在していたと考えられている豊かな湧水池と周囲の林苑をうまく利用して設けられました。苑内には豪華な殿舎がつくられ、800年に桓武天皇がはじめて神泉苑に行幸されて以後、朝廷貴神行楽の重要な場所となりました。
◎規模
神泉苑は、平安京(大内裏)の南東隣りに位置し、八町の規模を有する苑池であり、禁苑とされています。
苑内には、大池、泉、小川、小山、森林などの自然を取り込んだ大規模な庭園が造られており、敷地の北部には乾臨閣を主殿とし、右閣、左閣、西釣台、東釣台、滝殿、後殿などを伴う宏壮な宮殿が営まれていました。
地下鉄東西線建設に伴う発掘調査によって、大池の北岸、泉から池に流れ込む小川(遣水)など庭園の北部を検出しています。
小川河口のすぐ西側の池の北岸には、長さ約4mを測る厚い板材が設置されており、船着き場の足場板と見られます。
ここでは、船着き場の足場板を検出状況に即して復元展示しています。
平安時代初頭頃には、苑池での管弦の宴などに用いられた竜頭鷁首の舟などが着き、貴族たちが南庭へと下り立ったものと想像されます。
◎祈雨
天長2年(824)淳和天皇の勅命により弘法大師空海は神泉苑の池畔にて祈られ
北印度の無熱池の善女龍王を勧請(呼び寄せられ)された。
日本国中、雨が降り、人民が大いに喜んだ。
これ以降神泉苑の池には善女龍王がお住みになるという。
◎祇園祭と神泉苑
貞観5年には疫病が大いに流行り、神泉苑にて多くの御霊を鎮めるため御霊会が行われた。
全国の国の数、66本の鉾を立てて、神泉苑の池にくりこみ、厄払いをした。
後世には、これが町衆の祭典として、鉾に車を付け、飾りを施して京の都を練り歩く、祇園祭へとなる。
◎五位鷺(ごいさぎ)
醍醐天皇が神泉苑に行幸になったときに鷺が羽を休めていた。
帝は召使いにあれを捕らえて参れと仰せられた。
召使いが近づくと鷺は飛び立とうとした。
召使いが「帝の御意なるぞ」と呼びかけると鷺は地にひれ伏した。
帝は大いに喜ばれ、鷺に「五位」の位を賜った。
以降、鷺は「五位鷺」と呼ばれ、謡曲にも謡われるようになる。
◎静と義経の出会い
室町時代初期に書かれた「義経記」によると、日照りが続いたので、後白河法皇は神泉苑の池で100人の僧に読経させたが効果がなかったので、100人の容顔美麓な白拍子に舞わせ雨を祈らせた。99人まで効果がなかったが、最後の静が舞うとたちまち黒雲が現れ、3日間雨が降り続いた。静は、法皇から「日本一」の宣旨を賜った。その時に、静を見初めた源義経との初めて出会ったと伝えられています。
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